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クロノスクランブル社会

同じ時代に生きていても、利用できる技術やサービス、知り得る情報や知識、そこから推定できる現在地や推測される将来像について、差異が生じます。

そうした差異が大きい人たちがコミュニケーションすると、あたかも異なる時代の人がタイムマシンを使って出会ったかのような状況になります。

今までは、こうした時間的な認識差は、国境や文化による経済格差に起因する、技術やサービス、知り得る情報や知識の差異から生じていました。

また、世代の差により、日常的に触れる情報の鮮度や好奇心の差異に起因して、時間の認識の差が生まれていました。

かつ、新しい技術やサービスを提示しながら情報や知識を提示すれば、時間認識の差異は容易に埋めることができました。

このため、時間の認識差は国境や文化の差や世代の差として目に見えやすく、かつすぐに解消できるため、大きな問題にはなっていませんでした。

しかし現在、この状況が大きく変わっています。それは、生成AIの登場によるものです。

私は生成AIの登場により、人によって時間認識の差が生じてしまう社会を、クロノスクランブル社会と呼んでいます。クロノとは、ギリシア語で時間を表す言葉です。

AIに対する時間の認識差

生成AI、特に人間と同じように会話できる大規模言語モデルの登場により、時間の認識差は広がりました。

この差は国境や文化、世代のような目に見える境界線を持ちません。また、技術に詳しいかどうかという差異とも異なります。

なぜなら、AIの研究者や開発者の間でも、これらの技術の全体的な現在地や、将来の見込みについて、大きくその認識が異なっているためです。

かつ、その差は月日が経つにつれて、狭まるどころか、ますます広がっているのです。

これが、クロノスクランブル社会と私が呼ぶ、現在の社会の特徴です。

時間差の多様性

さらに、その時間認識の対象は、単に先端のAI技術の動向に留まりません。AI技術の応用技術の動向や、既存技術と組み合わせたシステム技術としての動向も含みます。

応用技術やシステム技術は幅が広く、生成AIの応用技術について強く関心を持っている私も、少し用途が異なる分野の技術は見落としており、先日も半年前にリリースされていたサービスを知って衝撃を受けたりもしました。

その分野でのAI応用技術については、そのサービスを知っている人と、それまでの私は、半年間の時間認識差があったということです。

そして、これは技術の知識に限りません。それらの技術は既に商用リリースされており、その技術を採用している企業やそこで働く従業員、そしてその会社のサービスや製品を利用している別の企業や一般消費者の現実の生活や経済活動を変化させています。

つまり、経済や社会という面でも、知っている人や影響を受けている人と、そうでない人の間に時間の認識差を生み出しています。

それは応用技術やシステム技術よりも、さらに多種多様な分野に及びます。

これらは、現在地の手がかりになる情報や知識の入手の差になります。

さらに、その得られた情報や知識から、現実の現在地を推定する能力にも、人によって大きな差があります。

例えば、チャットAIを使っている人でも、無料で使えるAIモデルと、有料の最新AIモデルを使っている人の間では、現在の生成AIの実力について、大きく認識が異なるでしょう。

また、適切なプロンプトを与えることで実現できることを知っている人と、プロンプトの工夫なしに使用している人にも、大きな認識の差が生じます。

この他にも、メモリ機能やMCP、エージェント機能、デスクトップやコマンドラインAIツールなど、様々な機能を体験しているかどうかでも、認識に差が出るはずです。

シンプルなチャットAIサービスですら、このように利用方法によって認識に差が生まれます。

さらに、その体験したり見聞きしたりした情報や知識から、生成AIの技術や経済・社会への影響の現在地を推定する能力は、個人差が大きいでしょう。

特に、技術に詳しくても、経済や社会への影響については疎かったり関心が薄い人は多くいます。逆に経済や社会への影響には敏感でも、技術的な理解が苦手な人も多くいます。

このため、AIを取り巻く多面的で包括的な認識は人によって千差万別であり、クロノスクランブル社会の複雑さを不可避のものにしています。

ハイパースクランブルな将来像

加えて、将来像はさらに複雑です。

各自の将来像は現在地の認識に基づいています。将来像は、そこにさらに不確実性や、さらなる多様な分野への裾野の広がり、異なる分野同士の相互作用も含まれます。

加えて、将来像を予測する際に、直線的な予測をしてしまう人も少なくありません。しかし、実際には技術の累積による複利効果、異なる技術の組み合わせによるシナジー、利用者や分野の増加によるネットワーク効果など、何重もの多重指数関数的な変化が生じ得ます。

直近の2年間の変化量が、そのまま今後の2年間で起きると考える人と、指数関数的に想定する人の間では、将来像の認識に大きな差異が出ます。

これが、時間と共に認識差が広がる理由です。2年後には、この両者の将来認識の差も指数関数的に広がることになります。また、指数関数的に想像するとしても、その多重度の認識に差があれば、やはり指数関数的な差が出ます。

加えて、AIの影響は、経済や社会にポジティブな影響とネガティブな影響の両方を与えます。そして、人が将来像を予測する時、その人の認知バイアスにより、ポジティブとネガティブな影響の予測にも、指数関数的な差異を生み出します。

ポジティブバイアスの強い人は、ポジティブな影響は指数関数的に予測しつつ、ネガティブな影響を直線的に予測します。ネガティブバイアスが強い人は、その逆になります。

加えて、どんなにバイアスを除去しようと努力しても、そもそもの影響範囲の分野や観点の見落としや、技術的な応用やイノベーションやシナジーの可能性を見落とさずに予測に組み入れることなど不可能です。

このようにして、将来像の時間の認識差は、さらに輪をかけてスクランブル化されます。これは、ハイパースクランブルとすら言えるでしょう。

タイムコミュニケーション困難性

このように、生成AIが作り出した時間の認識差は、とても簡単な実演や説明で埋めることはできません。

また、どんなに説明を尽くしても、相手の技術的な理解や経済・社会の理解のバックグラウンドの差により、埋めることができないのです。それを埋めるためには、AIや応用技術だけでなく、基礎的な技術や経済・社会の成り立ちや構造から教育する必要があります。

加えて、将来像の線形モデルと指数関数モデルという思考のクセの矯正をしなければなりません。複利効果、ネットワーク効果、場合によってはゲーム理論などの応用数学についても理解してもらうところから始めなければなりません。

それを、ありとあらゆる技術応用分野と、経済・社会分野について整える必要があります。

しかも、最終的にはポジティブバイアスやネガティブバイアスという、説明や知識では乗り越えることのできない壁にぶつかります。

そこで認識のズレがあると、不確実性を含むため、どちらが正しく、どちらがバイアスを持っているのかは平行線となり、解消する手立てはありません。

これは、ある分野の2年後のネガティブな様子を見た人と、別の分野の5年後のポジティブな様子を見た人が、10年後の未来の社会について議論するようなものです。

クロノスクランブル社会とは、そういう社会なのです。

そして、これは一時的な過渡期の問題ではありません。クロノスクランブル社会は、これから先、永遠に続く新しい現実です。私たちは、クロノスクランブル社会を前提として受け入れながら、生きていくしかないのです。

主体性の有無

現在地の推定と、将来像の予測だけでなく、主体性によっても、さらにクロノスクランブル社会は複雑さを増します。

将来を変えることはできない、あるいは身の回りのことは変えられても、社会や文化、学問や思想を変えることはできないと考える人は、予測した将来像がそのまま現実になると信じるでしょう。

一方で、多くの人と協力すれば主体的に様々なものを変えられると考える人には、将来像はいくつかのオプションがあるように見えるでしょう。

時間認識からの独立性

単に、現在地や将来像の認識に差があるだけなら、特に問題はありません。

しかし、未来に関わる意思決定をする際には、この時間の認識差とコミュニケーション困難性、そして主体性の有無が大きな問題になります。

異なる現在地の時間認識と、異なる将来像の認識、異なるオプションを持つ人が、意思決定のための有意義な議論をすることは、非常に困難なものになります。

議論の前提を合わせることが、非常に困難であるためです。

だからといって、議論を諦めることはできません。

そのため、私たちはこれから先、時間の同期性を前提とすることはできません。

お互いの時間の認識差を縮める努力はある程度の意味はありますが、完全に同期することは諦めざるを得ません。完全な時間認識の同期を目指しても達成は困難で、時間を浪費し、精神的な摩擦を増やすだけです。

したがって、時間の認識差が存在することを認めつつ、意味のある議論ができるような方法を編み出さなければなりません。

それは、意思決定や議論において、時間認識からの独立性を目指す、ということです。

お互いの時間認識を提示して、その違いを認識しつつ、議論や意思決定を行う必要があります。

その場合、実際の時間や将来の時間が、誰の推定や推測の時間が正しいとしても成り立つような議論をすべきだということです。

そして、時間の認識差が議論の質や選択肢の決定に回避不可能な違いを生み出す部分に限って、共通認識を持てるように努力をします。

このように時間認識からできるだけ独立した議論を目指し、やむを得ない部分に集中して、その差異を埋める努力をすることで、議論の質を保ちつつ、現実的な労力と時間の範囲内で、有用な意思決定をしていかなければなりません。

さいごに

はじめは、この現象を「タイムスクランブル」と名付けようとしていました。タイムをクロノと変えたのは、この文章を書きながら子供の頃に好きだった「クロノトリガー」というゲームのことを思い出したためです。

クロノトリガーはジャンルとしてはRPGで、中世ヨーロッパ風の文化の国々が存在する時代を生きる主人公とヒロインの物語です。彼らはタイムマシンを手に入れて、伝説の英雄がいた時代、原始時代、そしてロボットが活動する未来の社会などを行き来しながら、仲間を増やしていきます。そして、最終的には全ての時代の人々にとって共通の敵となるラスボスを協力して倒す、というストーリーです。しかも、伝説の英雄の敵であった魔王でさえも、このラスボスとの戦いでは共闘することになります。

ここに、私の議論との重なりがあります。タイムマシンは存在しませんが、私たちは異なる年代を生きているような状況に置かれています。そして、認識している年代の差が埋められず、別々の年代を生きているとしても、共通の社会問題に向き合わなければなりません。

その際に、お互いを無視したり、敵対したままではなく、協力し合わなければなりません。クロノトリガーは、時間に関係なく共通の敵がいるのであれば、私たちは協力し合わなければならないし、それが可能であるということを示唆するアナロジーとなります。

ただ、単にその偶然の符合に気がついた時点では、私はこの社会現象の呼び名を変更しようとは思いませんでした。

その後、なぜクロノトリガーがこのように現在の社会と符合するのかをふと考えた時に、製作者たちの置かれた状況が、現在の社会の状況に相似した縮図となっていたのではないかと気がついたのです。

クロノトリガーは、当時の日本のゲーム業界で非常に高い人気を誇った2大RPGシリーズであるドラゴンクエストの製作元のエニックス社と、ファイナルファンタジーの製作元のスクウェア社のゲームクリエイターがコラボレーションした作品です。子供の頃の私たちにとっては夢のような作品だったのです。

そして、大人になった今、振り返ってみるとこのようなドリームプロジェクトで生み出された作品が、多くの人の心をつかむ真の名作となることなど、通常はほとんどあり得ません。なぜなら、ドリームプロジェクトという時点で、十分な数が売れることがほぼ確定するため、クレームやその後の評判を悪くしない程度にお金や労力を削って、そこそこの作品を作ることが経済的に合理的であるためです。

それにもかかわらず、ストーリー、音楽、ゲーム要素の新規性、キャラクター、どれをとっても日本のRPGを代表するゲームであることは間違いありません。ゲームのように人によって好みが分かれるもので、ここまで断言するのは通常は難しいものですが、このゲームに限っては、躊躇なくそう言い切れます。

そして、結果的にスクウェア社とエニックス社は、その後に合併して現在はスクウェア・エニックス社として、引き続きドラゴンクエストやファイナルファンタジーを始めとする様々なゲームを製作しています。

これは完全に私の推測でしかありませんが、この合併のことを考えると、クロノトリガーでのコラボレーションは単なる派手な企画ではなく、両社の将来の合併も視野に入っていた試金石だったのかもしれません。両社共に経営的な問題あるいは今後の成長を見据えて、本気でこのゲームに取り組まざるを得ない環境であったのではないかということです。

とはいえ、制作するスタッフの現状認識や自分たちの会社の将来像の予測には大きな開きがあったと考えられます。経営層に近い人たちは現実に近い認識をしていたでしょうし、遠くなれば人気作品を作っている自分たちの会社が危ういという認識は持ちづらいでしょう。

さらに、異なる会社のスタッフのコラボレーションという形になると、そもそもの現実の状況も両社で異なります。しかし、それでも両者を取り巻く共通の経済環境や業界環境を鑑みると、協力してこのプロジェクトを成功させなければならないという背景があった可能性はあるでしょう。

タイムマシンというアイデアを軸にストーリーを形にしていく際に、このような本来であればライバル企業同士であり、かつ時間の認識差があるスタッフが協力し合う必要性に迫られているという現実が、反映されていったのではないかと思えるのです。

つまり、クロノトリガーは、そのゲーム内のストーリーだけでなく、ゲーム開発プロジェクトも時間の認識差が顕著な「スクランブル」状態であったのではないかと思えるのです。このリアルな開発プロジェクトを成功させるための苦悩や、実際にスタッフやマネージャーたちが一致団結して協力をしあっている様子と、この時代や敵対関係を超えて真の敵と戦うストーリーが絡み合って、単なる有名ゲームクリエイターの集まりや、経営的な本気度を超えて、私たちに真の名作と思わせる作品が生み出されたのではないかと、思い至ったのです。

そのような推測に基づくものではありますが、このゲーム開発プロジェクトの成功を現在の社会でも再現したいという意味を込めて、私はこれを「クロノスクランブル社会」という呼び名にすることにしたのです。